もうすぐ土用がやってくる。
立春そして旧正月の前18日間(年によって前後する)が、毎年冬の土用の期間となる。
2021年の冬の土用は1月17日から2月2日までとなる。
この期間中は旧暦では年末にあたるため、年末の大掃除として普段やらない掃除をしようと、水面下でやる気が燃え始めている。
普通なら大掃除を済ませたばかりで家中がきれいになっていていいはずだが、12月に行うべき大掃除を今年は全くと言っていいほど行わず、年末から十二分に寝正月を満喫していた。
その反動からだろうか、掃除したい欲求が高まりつつある。
ぐうたら人間のやる気スイッチがついに押されるのであろうか。
2021年に入り、そして入る前から、この一年はどんな動きをしていこうかと何となくの年間スケジュールを頭の中で立てていた。
まず1月は新しい年を迎えたエネルギーと旧正月を目前に控えた年末のエネルギーが交錯する新年への移行期とも言える時期だ。
そして先ほどから言っている土用にあたる期間でもあるため、2月2日の節分までの期間、家で寡黙に掃除や片付け整理整頓、同時に体の掃除健康維持促進、家と心身の邪気払いに励むこととする。
次に待ち受けるイベントというと、季節は廻り、6月6日。
この日は私にとって7年間という長い苦境の期間から脱する記念すべき日なのだ。
インド占星術では人の一生の中にはいくつかの決められたサイクル、例えば太陽期だとか木星期といった数年から数十年に渡る期間が存在しており、人によって始まる場所は様々だが、決まった順番で巡ってくるようになっているとされている。
私は現在、ケートゥ期という7年間に渡る期間の中にいる。
このケートゥ期というのは、なかなかの修業期間であるようだ。
精神修練や内省、禁欲に向かう時期であり、また人によっては引きこもりや社会からの離脱などを引き起こすような時期でもある。
私にとってのケートゥ期は、内省の期間であり、お金の問題による節制、社会や友人たちやコミュニティからの離脱と引きこもりなどといった暗くしみったれた苦しい経験の連続だったように思う。
もちろん楽しいことも嬉しいこともあったけれど、ケートゥ期についての概要を見聞きすれば、それがまさに私のこの7年間であったことは火を見るよりも明らかだ。
私はまさにケートゥ期を生きていた。
過去形にするにはまだ早いが、気持ちはもうすでに6月6日の金星期以降に標準を合わせている。
金星期はケートゥ期とは真逆の、楽しむ期間だ。
芸術や恋愛、社交、現世的な楽しみが増えるという。
だがコロナ禍の中、旅行も会食もできないこのご時世にいくら金星期に移行したからといって、どうやってそれらを楽しむのだろうか、と、いささか疑問に思ってしまうのは、この半年ほどの自粛期間を経て旅行や会食が再びできるようになることを心待ちにしていたのにも関わらず、緊急事態宣言が発出されてもなお出口が見えない現状を目の当たりにし、春には旅行と会食再開ができるのだろうかなかろうかと悶々としているためである。
ちょっと前まではこの冬を乗り切れば、きっと春過ぎにはコロナの深刻度は激減されるだろうと高をくくっていたのだ。
それがどうも期待どおりには進まないようだと知り、なんだかガックリ来てしまった。
けれどなんてったって金星期の到来なのだから、たとえコロナ禍であってもきっと私なりの楽しみが新しく展開していくのだろう。
コロナになんて押し潰されない!
私はケートゥ期を抜けるんだ!
以上が2021年、私の年間スケジュールだ。
結局のところ、具体的な予定は何も立てていない。
立てられないままだ。
先が見えないのはこの数年間ずっとそうだったが、この2021年もやはり先が見えない。
けれど少なくとも、ケートゥ期を脱すること、金星期に移行することだけは決まっている。
それだけで十分だ。
今を生きろ。
とにかく今は邪気払いだ。