この1年、どんな思いを抱いていただろう?
さて一年前の今頃は、どんな生活を送っていたっけ?
友人と料理を持ち寄って、お互いの家を行き来しささやかなホームパーティーをすることが恒例となり始めたのが、ちょうど一年前のことだった。
春頃のこと、私自身がもしかしたらコロナにかかってるんじゃないかと一瞬心配になったことがあった。
そのときを境に残念ながら、そのいつもの楽しみは途絶えることとなった。
義母や母とは、ときどき一緒に食事をしていた。
外食することもあれば、私が手料理を振る舞うこともあった。
一人暮らしの母親たちにとって、私と夫と三人で食事をすることやお茶飲みをすることは、最も楽しみにしていることの一つだったはずだ。
それが出来なくなってしまったことで、母親たちが寂しい想いをしていることを思うといつも胸が痛かった。
母親たちは猫を飼っている。
母親たちにとって一つ屋根の下に暮らす猫との語らいが、唯一の家族の団らんとなってしまった。
というより、母親たちは家族団らんが出来なくなってしまった、というのが正しい。
もちろんまめに母親たちの元を訪れて、手料理の差し入れをしたり、買い物に連れて行ったり、家の手伝いなんかを申し出たりといったことはやっている。
けれど、母親たちが望んでいるのは手伝いなんかよりも、一緒に食事をすることなのだ。
それができないことの寂しさは半端ないようで、どうしたらいいのかいつも考えあぐねていた。
まだまだ若い高齢者である母親たちを早死にさせたくはないので、コロナが終息するまではとにかく会食禁止を私たち夫婦は掲げていたのだ。
とは言え、母親たちのことを想うと居たたまれなくて、ぶれそうになることも多々あった。
それを夫が毎回静止し、あれから10ヵ月の間、公言通り、私たち夫婦は友人とはもちろん母親たちとも一緒に食事をしていない。
今では各々寂しい気持ちを抱えながらも会食できないということに慣れたのだろうか、母親たちからのプレッシャーや期待に応えられない罪悪感を感じることは少なくなった。
けれど一緒に食事したい気持ちがなくなったわけではない。
「早く終わって欲しいね。」が口癖になっている。
この1年、どんな思いを抱いていたか?
「一緒に食事がしたい」
こんなにも人と一緒に食事をすること、「美味しいね」と言いながら同じものを食べて、同じ時間、同じ空間、同じ体験を共有すること、だらだらとお喋りする時間が大切なものだったとは、一年前には今ほどはわからなかった。
コロナが終息した暁には、会食をたくさんしたい。
お題「#この1年の変化 」